A-cars Historic Car Archives #036

'72 Dodge Demon GSS

72年型ダッジ・デーモンGSS


Text & Photo : James Maxwell

(Muscle Car Review/2007 Nov. Issue)

 Dec. 2, 2024 Upload

 

 グランド・スポルディング・ダッジ。

 イリノイ州シカゴを本拠としたこのダッジ・ディーラーは、ヘダース、大容量キャブレター、そしてチューンド・エンジンなどを搭載した“新車”のダッジを販売することで全米に知られる存在だった。

 このグランド・スポルディング・ダッジを主宰したのは、Mr.ノームことノーマン・クラウスと、彼の兄であるレニー・クラウス。そしてこのふたりに率いられた若きセールスマン(彼らもまたエンスージアスティックな存在だった)たちが、独自にチューニングを施したダッジを格安で売りまくったのである(ほとんどの場合、ディーラー・インボイスに200ドル上乗せした価格で販売されたと言われる)。

 グランド・スポルディング・ダッジは新車を販売する一方で、ハイパフォーマンス・パーツの販売部門にも力を注いでおり、新車のディーラーというよりも、スピードショップ的な色合いを濃くしていた。もちろん、彼らがストックしていたパーツはMOPARの純正ハイパフォーマンス・パーツだけに限らない。エーデルブロックのインテークマニフォールド、ホーリーのキャブレターなどをはじめ、Mr.ノーム・ブランドの等長ヘダース、ディープパン、ハイリフトカム、カスタム・ホイール、ワイドタイヤなどなど、各種アフターマーケット・パーツを網羅していた。

 グランド・スポルディング、そしてMr.ノームの名前が全米で知られるようになったのは、単に多くのハイパフォーマンス・ダッジを販売したからではない。Mr.ノーム・ナイトロ・ファニーカーで全米をツアーし、各地で200mphで駆け抜ける姿を見せつけたことで、その名を全米に轟かせたのである。さらに、グランド・スポルディングが積極的にラジオのスポット広告を流したことも、その知名度をアップするのに効果的だったといえる。彼らが広告を流したシカゴのAMラジオ局“WLS”は非常に強い電波を発信しており、全米各地でそれを聴くことが可能だったのだ。つまりMr.ノーム自らの声による“The High-Performance Car King!!”というキャッチフレーズが、ラジオを通じて全米に流れたのである。

 このグランド・スポルディング・ダッジで販売された車両は、全て自社工場でダイノ・テストを受けてパワーを確認したうえで納車された。メカニックたちはハイパフォーマンス・カーを知り尽くしており、キャブレターのジェット交換も、それに合わせてサン社のディストリビューター・マシンで点火時期を調整することも手馴れたもの。そして、とにかく彼らは各個体が最大のパフォーマンスを発揮することに心血を注いでいた。さらに、車両を購入したオーナーに向けて“Mr.ノーム・スポーツ・クラブ”を創設。これは、75ドルの登録料を払ってこのクラブに入るとテック・サービスもパーツの購入も割引されるというもので、ハイパフォーマンスカー・ユーザーにとって有難く、そして心強い存在だったといえよう。

 彼らは“GSS”というスペシャル・モデルも用意した。GSSとはグランド・スポルディング・スポーツの略で、具体的には440cuinV8を搭載したダッジ・ダートやエンジンをモディファイしたダッジ・デーモンなどをラインナップしていた。また、ハースト・パフォーマンスが製作した426HEMI搭載のスーパーストック・ダートの大多数を扱ったのも彼らである。

 

 

 ダッジ・デーモンGSSが初めて登場したのは1971年のことだった。このデーモンGSSは、70年に登場したチャレンジャーT/Aにヒントを得て6パックを採用していたが、ボールベアリングを使った調整式リンケージを採用するなど独自のアイデアが光っていた。エンジンではクロワーのカムシャフト、強化バルブスプリングなどを採用してバルブトレインを強化。ATモデルに関してはトランスミッションのバルブボディをモディファイしてシフト・タイミングを変更。さらにトラクションバーの追加、強化デファレンシャルの採用などで、クォーターマイル13.4~5秒@103mph超というポテンシャルを実現していた。

 しかし71年モデルイヤー終盤、ファクトリーから発表された次期340エンジンは、そのポテンシャルを大きく抑えたものだった。バルブの小径化、圧縮比の低下(10.5:1から8.5;1に変更)などにより、最高出力が257hpから245hpにダウンしていたのである。この発表を受けて、Mr.ノームとメイン・メカニックのゲイリー・ディアーは、72年型デーモンGSSのパワーダウンをどうやって食い止めるかに頭を悩ませることになった。

 ノームの頭の中にアイデアがひらめいたのは、71年のSEMAショー会場を歩いていた時のこと。それは72年型デーモン340にスーパーチャージャーを組み合わせるという方法だった。スーパーチャージャーを組み合わせることを考えれば、340エンジンのコンプレッション・レシオが低下したことは歓迎すべきこと。このノームのアイデアは、ネガティブな要素を逆にメリットとするものだったのだ。

 そしてパーツの供給契約を結んだのは、ベルトドライブ式スーパーチャージャーでおなじみのパクストン社だった。同社のスーパーチャージャーは、57年シーズンを走ったフォードのNASCARレーサーやサンダーバード、スチュードベーカー・ホークやアバンティ、そしてごく僅かだがシェルビーGT350などにも採用された実績を持っている。

 もちろんだが、スーパーチャージャーを採用すると同時にエンジンのチューニングも入念に行われた。クロワーのアルミ製バルブスプリング・リテーナーや、モディファイド・フューエルポンプ、フューエル・プレッシャー・レギュレター、コンペティション・タイプのミロドン製オイルポンプなどを採用。デスビの進角、キャブレターのジェットなども再調整し、ホースやプーリー類も変更。さらに大容量エア・フィルターも採用された。

 圧縮比が8.5:1まで低下した72年型の340cuinV8に、これらのモディファイは上手くマッチした。そしてこのスーパーチャージド・デーモンGSSは、多くの自動車雑誌のロードテストで高評価を得るとともに、3695ドルというベースプライスでも好印象を与えることになった。

 

 

 72年7月号のハイパフォーマンス・カー・マガジンでは“このエンジンサウンドは何物にも代え難い”とレポートされている。

“最初は小さな口笛のような音だが、アクセルを踏み込むに従ってそれは徐々に大きくなり、最後にはけたたましい金属音へと変化する。そう、これこそがスーパーチャージャーだ”

 このロードテスト用車両を手配したのは、ニューヨークでデーモンGSSを販売していたディーラー、ロックビル・センター・ダッジである。彼らがテストの場であるニューヨーク州のレースウェイ・パークに持ち込んだデーモンGSSはATを搭載し、リアエンドは3.55ギアという仕様で、テストでは、クォーターマイル13.92秒@106mphという数字をマークした。そしてこのテストを通して、標準で履く小さなグッドイヤーでは満足にトラクションを得ることができないということも明らかになった。スタートと同時に発生するタイヤスモークがどうしても抑えられなかったのである。

“OCIR(オレンジ・カウンティ・インターナショナル・レースウェイ)へのショート・トリップは最高に楽しいものになった”とレポートしたのは、ドラッグレーシングUSAの72年6月号である。

“レースウェイに向かう道は空いており、クルージングの速度域(65mph)から、さらに加速する機会はいくらでもあった。とにかく、このクルマにとって65mphという速度域は非現実的なものである。なにしろ、そこからスロットルをチョンと踏み込めば、スピードメーターはあまりにも簡単に70mphになり、80mphへと達するのだ。そしてその力強い加速はどこまでも続きそうな印象だった”

 その後、OCIRに到着したデーモンGSSは、誰も、何も触ることなく、すぐさまスタートラインに立った。そしてバーンナウトを2回ほど行って飛び出したものの、やはりスモークは抑えられず、14.0秒@101.69mphという数字に留まった。その後スモークに注意を払ってスタートした2本目では13.75秒@101.58mphという記録を残している。そして、この2本目の数字が、当時の雑誌に残るデーモンGSSのロードテストでは最速となった。

 スーパーチャージャーを備えたデーモンGSSが生産されたのは、この72年型だけのことである。これは73年モデルイヤーになって、政府の排出ガス規制がディーラーで販売されるモディファイドカーにも及ぶようになったからだ。独自にチューニングを施したハイパフォーマンス・ダッジの販売にかけては全米一の存在だったグランド・スポルディング・ダッジもこの規制から逃れることはできず、その後はカスタム・バンなどの販売に力を入れるようになっていったのである。

 写真で紹介している72年型デーモンGSSは、本誌ではもうおなじみとなったアリゾナ州に住むコレクター、ビル・セフトン氏が所有する1台。コーポレート・ブルー(ぺティ・ブルーとしても知られている)が美しい、恐らく世界で最もコンディションのよい72年型デーモンGSSである。この個体は、イリノイ州のノスタルジア・レーンにおいて完璧なフルレストアが行われており、エンジンルームのフェンダーサイドにノームの直筆サインも入っている、素性の明らかな1台でもある。

 スーパーチャージャー・システムに希少なNOSパーツ(編集部注・New Old Stock=当時モノの新品パーツ)を採用するなど、どこからどう見てもショールーム・コンディションで、ビルドデートにある72年3月そのままの状態と言っても過言ではない。ブラックアウトされたフードスクープ、そしてディーラー・インストールによるフード・マウント・タコメーターが特徴的である。

 72年のデチューンされた340エンジンに対する回答としてノームが生み出したスーパーチャージド・デーモンGSS。その特徴的なブロワーのサウンドは、現在もそれを聞く者を非現実的な世界へと誘うのである。

 


パクストンのスーパーチャージャーが組み合わされた340cuinV8。エンジン上に載る黒い箱の中には、カーター製のサーモ・クアッド・キャブレターが入っている。なお、初期のGSSでスーパーチャージャーの圧力によってキャブレターのフロートが壊れるトラブルが多発したため、後に硬質樹脂製のフロートに変更されている。ちなみに、パクストン製スーパーチャージャーの採用によって、フロントエンドはおよそ75ポンド(約34kg)の重量増となる。だが、このスーパーチャージャーがもたらすエクストラ・パワーを考えれば、そんなことも気にならないだろう


クライスラーはこの72年モデルより340エンジンに電子式イグニッションを標準採用した。同時にディストリビューターも一新されるなど、電装系は大きく変化している。


オートメーター製レブ・コントロール・ユニットも取材車のオリジナル装備。フルレストアにあたり、その入手に相当な労力を費やしたパーツのひとつであり、最終的にNOSパーツは入手できなかったものの、それに近いコンディションのものを入手できた。


巨大なエアフィルターを含むGSS独特の吸気システムは、スーパーチャージャーを供給したパクストン社がデザインしたもの。


エンジンルーム内のサインは、フルレストアを終了した後に、ノーマン・クラウス本人によって記されたもの。Mr.ノーム自身が本物のダートGSSであることを認めた1台ということになる。


14インチのラリー・ホイールに組み合わされるのはE70×14のグッドイヤー・ポリグラス。これがそのままオリジナルの仕様である。


エンジンフード上で強力な存在感を放っているフード・スクープは、その裏側を見てもわかるように、実際にエンジンルームに空気を採り入れる機能を有している。しかし、スーパーチャージャー・システムと組み合わされたエア・インテークは、フロントにあるラジエターの右側に位置するため、システムとしてトータルに機能しているとは言い難いのも事実だろう。


エンジンフードに備わる8000rpmまで刻まれたタコメーターは、取材車の1stオーナーが購入時に装備したオリジナル・アイテム。70年代の序盤は、このようなアフターマーケット製のフード・タコメーターが大流行した時代でもある。


MOPAR Aボディのデーモンはコンパクト・クラスの車両だが、そのトランクはなかなかに広く(容量は15.9cu.ft.)使い勝手はよさそう。往年のデーモンGSSは、ここに最も大きなトロフィを積んでドラッグ・ストリップを後にしたのだろう。現代ならば、カーショーで獲得したトロフィでも積むところだろうか。


インテリアも極上のオリジナル・コンディション。取材車はオプションとして、3スポークの“TUFF”ステアリングとセンター・コンソールを選択している。


71年型デーモン340では丸型のデュアル・ラウンド・ラリー・ゲージを採用していたが、72年型ではご覧のような角型のスピードメーターに変更された。それにしても、1万2000マイルに満たない走行距離(もちろん実走距離)には驚かされる。


デーモンならではの特徴的なリアフェイス。スロット式の分割テールレンズというと、プリマス・ダスター340やツイスターを思い浮かべる人も多いだろうが、兄弟車にあたるデーモンもこれを採用していた。